2020.02.12
人間嫌いな青年と人形のように美しい少女の、歪で官能的な生活『僕とドールと放浪少女』小夏ゆーた【おすすめ漫画】
『僕とドールと放浪少女』
人間嫌いな青年と人形のように美しい少女の、歪で官能的な生活
とても気になるさじ加減の表紙だ。パッと見ると人形にしか見えない。脚は球体関節人形のようだが、よく見ると違う。これは人形を模した柄のストッキングだ(実際に販売されている)。その一方で手は光に照らされていて、生々しい。ドールとして青年と暮らす、美しい少女の物語をうまく表現している。
極度な人間嫌いの新井久太(あらいきゅうた)。人の匂いがするだけで吐き気を催し、めまいがするほど。彼がゴミステーションで見つけたのは、美しい少女。人形だと思ってつい拾って帰ってしまったところ、生身の人間だった。
「キュータは私を良いと思って拾った それって人間も人形も関係ない事じゃない? それでも人形の私が良いのなら あなたのドールになってあげる」
行くところがないのでドールになるという少女・羽子(わこ)と、彼女に人形的な美しさを見出した青年の、奇妙な生活が始まる。
生身の少女の肉体的感触に、最初のうちは拒絶反応を示し、嘔吐までしてしまっていた久太。彼は羽子の美に興味を惹かれてしまうが、ちょっとでも肌に触れるとアウトのようで、鳥肌が立って苦しみ悶えてしまう。匂いもだめらしい。
見た目は人形のように非の打ち所がない美しさを持っている羽子だが、人間特有の匂いは消すことができず、久太は近づけない。
しかし一緒に暮らしていくうちに、久太の感覚が変化しはじめる。例えば食事のシーン。久太が羽子に食べさせるため口にスパゲッティを運ぶ。少女の舌が見え、静かに口を動かして咀嚼し、ゴクリと飲み込む。一連の艶めかしい動きの気持ち悪さに彼は怯える…と同時に、目が離せない不思議な感覚に襲われ、ゾクゾクが止まらなくなる。
気持ち悪さを越えたところにある、人間の生身の様子に彼の感覚が刺激され、心が動いた瞬間だ。この場面はとても丁寧に描かれており、口にスパゲッティを入れるだけで5ページも費やされている。
人間のエロティシズムとグロテスクは紙一重だ。肉の臭みを削ぎ落としていくことで生まれる究極の美、少女人形。一方人間はどこまで極めても人形のような潔癖さは得られないが、気持ち悪さをも伴う魅力、フェティシズムを持っている。
この作品には数多くのフェティッシュなシーンが描かれている。
裸の羽子を洗うため、久太は手袋と目隠をつけて彼女の身体を人形を扱うようにまさぐる。羽子にストッキングを履かせるため、手袋をつけたまま久太が彼女の腰に手を這わせる。その感覚を、羽子は悶えつつも黙って受け入れる。
人形になりきる羽子と、人間に性欲を感じない久太の間だからこそ生まれる奇妙な接触は、非常にエロティック。その場では何も起こらないけれども、ちょっとずつ2人の感覚と感情にスイッチが入っていく。
久太が人形として羽子を扱ううちに、次第に彼女の人間的部分に心が惹かれていく様子は、とても官能的。「羽子は僕のものだ 僕が守る」という久太の発言が、人形に対してのものなのかどうかは今後の2人の生活次第。さらなる接触に期待です。
©小夏ゆーた/少年画報社