2021.08.25
誰にも見せない自分のためだけの絵を描く、放課後ふたりだけの官能の時間。芸術高等学校を舞台にしたヒューマンドラマ!『放課後のサロメ』星窪朱子【おすすめ漫画】
『放課後のサロメ』
誰にも見せない自分のためだけの絵を描く、放課後ふたりだけの官能の時間
TwitterやインスタでPixivで。「いいね」を多くもらうには、ある程度のテクニックが必要だ。それを駆使して数字が伸びて、コメントがたくさん付けば、承認欲求が満たされる。
ただ、「いいね」をもらうために、評価されるために描いた作品、撮った写真はどこまでが「自分」なんだろう。逆に「自分」をただそのまま表現する時、果たして評価はされるんだろうか。それ以前に、人前に発表するんだろうか?
『放課後のサロメ』は芸術高等学校が舞台。まだ本格的に美術の勉強に挑んでいない新入生たちが直面する、本能の物語だ。
芸術高校に入学した喜多蓮二(きた・れんじ)は、幼い頃から画が上手で、周囲の人からとても褒められていた少年。だから絵が好きになり、努力を重ねて上達し続けてきた。高校に行っても、実技と知識ともに周囲に認められる優等生になっていく。
一方彼が出会った同じクラスの林原(はやしばら)ナオミは、破天荒な少女。地面にスケッチブックを置いてデッサンを殴り書き、平面構成の授業で紙を真っ黒に塗る。クラスメイトは彼女の奇行にびっくり。
喜多はそれを見てゾッとする。もちろん高校ではテクニックレベルで誰かに勝てない可能性があるのはわかっていたから、彼は努力してきた。しかし林原の感覚は自分とは違いすぎて理解が追いつかず、勝てる気がしない。
放課後喜多は、美術倉庫室で林原がひとり奇妙な作業をしているのを見つける。黒い絵の具に塗れた首だけの石像にキスをする彼女。後に屈託なく林原は言う。
「絵描くん手伝ってくれへん?」
官能的なコマにあふれた作品だ。林原は誰かに評価されるための絵を描かない。自分が描きたいから描くだけで、人に見せることを全く考えない。それに影響を受けた喜多もまた、自分がいいと思うためだけの絵を描きたいと願う。
マナーとテクニックと人目を全部払拭した時、本能だけが残る。林原のそこに惹かれ、自身の本能をさらけ出していく喜多の姿は、エロティックだ。
指先に絵の具をつけて描くフィンガーペイントを行っていた林原のシーンは、特に艶めかしい。絵の具まみれになって、目隠しをして笑いながら描く彼女は「創る」という欲求だけで動いている。彼女に導かれるまま、目隠しをして黒い絵の具の中に手を突っ込まれる喜多。
描いているぐちゃぐちゃは、ルールのない欲望の創作だ。真っ黒になった喜多の肌もまた、創作だ。この時彼はあらゆるしがらみから解放され、林原に「その顔 私より楽しそうに描いてへん?」と指摘されたほど。恍惚、と表現していいだろう。
漫画は昼の授業中パートと、放課後のふたりきりパートにわかれて構成されている。それは理性と本能、と受け取ることもできるだろう。まだ理性のある喜多は授業中は優等生だが、林原は本能がもれているので最初は授業中もはちゃめちゃだった。放課後パートではどちらも本能むき出しで、人に評価されることを一切考えていない。
この作品は芸術の本来の目的が「人に伝えて評価されるため」なのか「自分が描きたいだけ」なのか、という問題にメスを入れる。途中から絵を描くことは常に評価ありきである、と考える生徒も登場。2巻以降はさらに深く切り込んでいきそうだ。
仰向けに寝転がる喜多の身体に、林原が黒い絵の具缶をぶちまけるシーンは、評価云々の域を超えている上に、危険度も高い。他の誰にも理解できないふたりの美術制作は、永遠に秘密であってほしいと感じるほどに美しい。
喜多が本能と評価どちらに傾くのか、作品の行方が気になる。林原のめちゃくちゃな制作が評価されてしまった時、喜多がどうなるかを考えると不安になる。林原と喜多の本能の芸術の行き着く先には、現時点では光は見えずむしろ闇のほうが近いが、それでもふたりの欲望の解放を見続けたくなる。
©星窪朱子/双葉社