2018.07.20
【日替わりレビュー:金曜日】『魔法が使えなくても』紀伊カンナ
『魔法が使えなくても』
紀伊カンナ先生の『魔法が使えなくても』が発売されました。
夢は叶わなくてもいい。人生で、ただ一度若者の季節。
「エトランゼ」シリーズの紀伊カンナによる青春群像劇。
あなたの心を時にドラムのように打ち叩き、時に柔布で撫でるような、忘れがたき青春群像劇。100回「辞めたい」とぼやくアニメーターの岸(きし)くん、仕事はクールだけど同棲相手には甘い千代(ちよ)ちゃん、女にモテてかっこいい心優しいバンドマンのたまき、地下アイドルに魅せられた女子高生のキキちゃん…ほか、6人の若者たちはいつか美しい思い出となるやもしれぬ日々を這いつくばりながら駆け抜ける。ポップでありつつもどこか牧歌的な筆致で極上世界を描く、著者初の連作読切りオムニバス。(公式あらすじより引用)
「エトランゼ」シリーズとは、同じ祥伝社の「ON BLUE」で描かれていたBL作品で、計3冊単行本が刊行されています。紀伊カンナ先生にとっては、一般向け商業作品としては初になるんじゃないかと思います。
突然ですが、みなさん学生時代に夢ってありましたか?
私は小学生のときこそ”プロ野球選手”とか書いてた記憶があるのですが、高校生にもなると研究職だとか言っていたような。子供から大人になるに連れて、将来の夢がどんどんとスケールダウンして、現実的なものへと変わっていっています。それはきっと、皆さんも同じなんじゃなかろうか、と。
さて、本作で描かれるのは色々な夢や目標を胸に抱く若者たちの物語。「夢」と言っても、突拍子もなく大きな夢ではなく、多少なりとも現実を織り込んだ、若者なりに思い描く「職業」としての夢です。
夢の種類は様々で、アニメーターだったりアイドルだったりバンドマンだったり……。中学生や高校生、なんなら大学生になっても抱けるようなもので、足を踏み入れるのは簡単だけれども、そこから這い上がるのはとっても大変なお仕事たちです。
話のミソとなるのは、理想と現実のギャップ。
それぞれ憧れや夢を抱いてその業界へと飛び込んでいくわけですが、圧倒的な才能に恵まれているわけでも、寝ていてもチャンスが転がり込んでくるような強運を持っているわけでも、ライバルを凌駕するような努力が出来るわけでもありません。
ただでさえ厳しい業界ですから、思い描いていた夢は、現実に揉まれる中で少しずつ形を変え、「あれ、こんなはずじゃなかったんだけどな」と思ってしまうようなシチュエーションに陥ってしまうことも。とはいえ先が見えないわけでもないし、頑張ればもしかしたらワンチャンあるかもしれないし、厳しい毎日でもそれなりに楽しいことや、幸せなことがあったりする……。ああ、この感じ、自分が社会人になりたてのときに感じた感覚に似ているものがある。というか、かつてちょっとばかり背伸びした夢を抱いていて、まさに今、少しの諦めと共に仕事で現実と戦っている人であれば、誰しもが抱いている感覚なんじゃないだろうか。
心の奥に仕舞い込んだ、けれども捨てることの出来ない夢のかけらが、私たちの大人の心を、チクチクと刺激してくるようなノスタルジー溢れた雰囲気がそこにあるのです。
タイトルの『魔法が使えなくても』の魔法とは、夢を叶える才能みたいなものだと思うのですが、本作はすなわち、それに恵まれなかった人の物語なのです。それでもその世界にしがみつく者もいれば、自分の才能の無さに見切りをつけようと考える者、そして他に自分の才能を発揮出来る場所を見つけ、別の道に進む者。誰が正解かわかりませんし、自分の意志で進んでいる時点で、きっとみんな正解なのでしょう。
本作で大事なのは、魔法がつかえないことではなくて、まほうがつかえなく“ても”のところ。各登場人物たちが、どのようにしてその”ても”を紡いでいくのか、ぜひとも作中で堪能して頂きたい。
ここまで振り返ってみると、作品の具体的なエピソードに一切触れておらず、文章も極めて概念的というか、伝わりにくくわかりにくいものになってしまっていますね。ここがどうこう面白かったと言うよりも、とりあえず読んで何かを感じて欲しい、そんな作品なのです。決して手抜きとかそういうことではないので、悪しからず。
で、その上で上の文章を見返してもらえれば「あー、こいつはこういうこと思ったんだな。」と理解してもらえるんじゃないかと思います。かつて夢を抱いていた人、今もなお夢を抱いている人、そしてそんな思いを胸に秘めつつ、日々働いている人に読んでもらいたい、素敵な一冊です。
©紀伊カンナ/祥伝社