2018.09.27
【日替わりレビュー:木曜日】『36度』ゴトウユキコ
『36度』
恥を知る。それでも生きる。
「恥ずかしい」と思って、なんどもマンガを閉じては深呼吸をした。ゴトウユキコ先生の短編集『36度』は発売日当日に買っていて、その日のうちに読んでいたけど、感想を書くのが長らくためらわれた。「面白い!」と両手をあげて大絶賛したい自分と、「恥ずかしい!」と過去に葬り去っていたはずの記憶が蘇って赤面している自分が、ぶつかり合っていたからだ。
ゴトウユキコ先生初の短編集は、表題作も含めて、全6作品。不倫相手の娘にまでせまられる女性を描いた「いおりとちはる」や、憧れのマンガ家と体の関係をもつことになったアシスタントを描いた「なれた手つきでちゃんづけで」がありながらも、生々しい情事の物語とは一転、仕事で忙しくなかなか子供に懐かれない父親が、娘と休日に動物園に行く「すてきな休日」など、バラエティに富む。
どれも一話完結で、登場人物には様々な境遇があり、どれもハッピーエンドともバッドエンドともいえない、絶妙な余韻を残す作品ばかりだ。
体の関係をもつ男女が多く描かれるが、その中でも何度か現れる「馬鹿にしている」という表現が印象的だ。理不尽な仕打ちだったり、無神経な言動により恥をかいたときに、彼ら彼女らは、顔を赤らめて激昂する。涙を流し、鼻水を垂れ流し、ときに(飲みすぎて)吐く。
とにかく、彼ら彼女らはみっともないのだ。惨めな姿を晒しながら、それでも生きる選択をする。
あとがきにある「読み切りごとに、一番読んでほしい人がいます」という言葉に、それが自分ではないことに嫉妬するほどに、この作品は「人生で恥ずかしかったときの記憶」を呼び起こす。
作品のもつ圧倒的なエネルギーに、なんども喘ぎながら、ずっしりとした感触を楽しみつつ読んだ。そして、最後に表題作である「36度」を読んで、思わず泣いてしまった。すごく、よかった。
現実世界では、みっともない姿は、怒られたり笑われたりするけど、少なくともこの作品は、そういう姿を受け入れてくれている。
誰かを好きになって、空回りして、ひどい仕打ちを受けて、恥ずかしい思いをして、そういう学習能力のない馬鹿なやつが、泣いて、鼻水を垂らして、「でも生きる」と言う。もしくは、そう宣言しないまでも、そのまま生きている。
格好良くない自分、ムカつく相手を嫌いになれない自分、経験不足でダサい自分、そういうのを全部自分だと受け止めて、「いつかネタにしてやる」と、どこか復讐めいた気持ちで生きる気力を取り戻す。
世知辛い、と思いつつも、この作品は地に足のついた希望だ。あたたかく包み込んではくれないけど、みっともない私を見放さない。
©ゴトウユキコ/講談社