2018.11.28
【日替わりレビュー:水曜日】『花待ついばら めぐる春』スガワラエスコ
『花待ついばら めぐる春』
艶めかしい幼い少女は25歳
スガワラエスコ先生の描く「子供」と「女」の中間の「少女」像は、ものすごくフェティッシュ。手足はスラリと長くて、表情は蠱惑的で艶めかしい。
作者の以前の作品『マドンナはガラスケースの中』では、爬虫類性愛の三十代男性と、妖艶な容姿の小学生少女の危うい関係を描き、話題になった。
最新作は、成長できない成人女性の物語。
25歳の中学校教師、大草拓馬(おおくさ・たくま)。彼は大人の女性を見ると「この女(ひと)を最初に咲かせたのはどんな男だろう」という激しい関心を抱く癖があった。
彼の目の前に現れたのは、幼馴染だった姫川いばら。同い年の25歳。しかし、どう見ても中学校時代の姿のまま。彼女は「少女性徴覚醒」ができなかったため、子供のままなのだという。性徴覚醒するには、恋をしなければいけない。でもいばらは、人を好きになる気持ちがわからない。彼女は拓馬に「この身体を大人にしてほしい」「わたしを咲かせて」と願い出た。
黒歴史を掘り返しながら、「かつて」と「今」の恋心に向き合うラブコメディ。他にも恋をして「少女性徴覚醒」をする女子中学生が登場する、思春期群像劇になっている。「少女性徴覚醒」という特異な現象と、いばらの「成長前の身体と25歳の感情」が噛み合ったことで、ロリータな肢体の描写にハラハラさせられる。
いばらの身体がとても小さく、私服だと小学生に見えるのがポイント。拓馬と一緒にいると身長差が1.5倍くらいあるので、並んでいるだけで他人から関係性を勘違いされるくらいには危なっかしい。彼女の脚は身長に対してスラリと長く、立ち姿はとてもしなやか。各話の扉絵で描かれるいばらは、成長する寸前の、肉付きの薄いエロティックさに満ちあふれている。
いばらが幼くもセクシーに描かれているのは、彼女を見ている拓馬の感情も中学生の時から止まったままだからかもしれない。
中学校時代、学校の遠足で行けなかった場所に、大人になってから連れて行く拓馬。しかも当時いばらに教えるために調べたノートまで持ち出すほど。こっ恥ずかしい思考なのは承知の上。いばらの前に出すことが出来なかった黒歴史を掘り返しながら「咲いたいばらとちゃんと恋人になりたい」と願うようになる。
彼自身、いばらと中学校時代離れたことで失ったものを取り戻し、恥ずかしさを恐れず恋心に向き合い、自分の恋をやり直しているのだ。
いばらも拓馬とはかなり親しいものの、現在連載されているところまでいっても性徴覚醒はまだまだの様子。2人は一応「恋人」という体で一緒にいるものの、お互い自分の気持ちに妥協をしないので、関係は微妙なまま。その誠実さこそが、安心して2人の距離感を楽しめるポイントでもある。
その一方で周囲の中学生女子の恋は咲きまくる。咲いた人間と咲かない人間の差を、「性徴する・しない」ではっきり線引しているがゆえに、「初恋とはなにか」の定義に深く切り込んだ作品になっている。
©スガワラエスコ/集英社