2019.02.02

【日替わりレビュー:土曜日】『ダンジョンのほとりの宿屋の親父』東谷文仁

『ダンジョンのほとりの宿屋の親父』

まずは、関係あるようなないような思い出話をしたい。

1993~94年に、テレビ東京系列で「ダンジョンV」という番組が放送されていた。独立月刊誌化する直前の「Vジャンプ」(集英社)のアニメ・ゲーム情報をテレビ上であつかうバラエティで、番組のEDテーマがけっこうな名曲として四半世紀経った今でも頭に焼き付いている。

曲名は、「私は名もない宿屋の娘」という。『ドラゴンクエスト』的なRRG世界で勇者をただ傍から見つめ続けるだけの、そこらへんの宿屋の娘が抱える恋慕をつづったコミカルにして奥深い歌詞が印象に強い。プレイヤーキャラクターに名前すら覚えてもらえない、旅の様子を遠いうわさに聞いては届きもしないエールを送ることしかできない、主人公パーティーの全滅にもセーブにもリロードにも関われない、そんな一介のNPCにだって人生や心が見出せるんだよねえ、と回り込む視点が鮮やかな歌である。

もちろん似たような切り口をもつ作品は前後に色々あるだろうが、個人的に「壮大なRPG世界の内側で、一市民的な視点から“主人公の物語”へカウンターを打つアプローチ」というと世代的にまずこれが頭をよぎる。

さて、本日ピックアップする『ダンジョンのほとりの宿屋の親父』の面白さも、つまりはそういうところにあると言えるだろう。

本作は小学館のWebマンガサイト「やわらかスピリッツ」で2016年6~10月、2017年1~10月、2018年7~8月と断続的に連載されたのち終了を迎え、単行本は全3巻が刊行されたファンタジーギャグマンガである。

人類が剣と魔法をもってモンスターと戦う、とある世界。凶悪な魔物が待ち構える様々なダンジョンへ突入しては攻略をはたし、名誉や財宝を手に入れ、やがては魔王をも退治して世界を救ってやろうと意気込む恐れ知らずを、人々は冒険者と呼んだ。

そんな彼らが数多く挑んでは誰も生きて帰れない世界最高のダンジョンが存在し、その最寄りには多くの旅人でにぎわう街があった。魔王を倒した英雄の血を引く若者。全身重装備の甲冑騎士。伝説級の魔法使い。王家につらなる高貴な者たち……みなそれぞれ世界の命運を背負うドラマチックな展開にふさわしい人々が、ダンジョンのほとりの街へと集まってくる。

だがしかし! これは、そのご立派な連中のご立派なお話ではない。大層な設定をもつ重要キャラクターたちがしょうもない理由で泊まりにやってきてしょうもない騒ぎを起こす宿屋をなんとか切り盛りする、ただのおっさんとその家族の日常風景なのである!

お気に入りのパーティーメンバーと2人きりでよろしくやるために、死んだ仲間の復活を後回しにして宿屋をラブホ代わりに使おうとする冒険者。
金はないが感謝をしてやるからタダ飯を食わせろと言い出す冒険者。
世界を救う使命に燃えたふりして本音は就職したくないから冒険をしている冒険者。
痛い目に遭わされた仕返しに親を連れてくる冒険者。

いやあ、宿屋を訪れる客が毎回すばらしくヒドいことヒドいこと。映画『アウトレイジ』のキャッチコピーは「全員悪人」だったが本作は差し詰め「全員クズ」の様相である。そりゃ当然、ただのおっさんである宿屋の親父でも全力でツッコミにまわらざるをえないわけだ。

上で述べた「“主人公の物語”へのカウンター」という点でいうと、「私は名もない宿屋の娘」はそれを当時としてもすでに古風な“待つ女”の一歩引いた風情であえて表現したところに趣があった。それに対して『ダンジョンのほとりの宿屋の親父』のほうはガンガン前にぶっこんでいくアグレッシブさが特徴といえる。

相手が勇者だろうが何だろうがキレちらかして時にはドツキ倒すバイオレンスな対応も辞さないおっさん、ことあるごとに脱ぎちらす露出魔の妻、イタズラでお客にお酢やヘドロを飲ませるサイコな孫娘など、宿屋サイドも厄介冒険者どもに負けず相当なクセモノぞろいで、「設定が大きかろうが小さかろうがクズ同士なら同じ土俵で殴り合うことができる」というアクロバティックな公平さを成り立たせたところに、本作のギャグとしての強みが見受けられる。

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miyamo

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