2020.08.15

つかのまの食事の味わいで生気を補充する孤独なフリーターを描いた、労働グルメ漫画!『ご飯は私を裏切らない』 heisoku【おすすめ漫画】

『ご飯は私を裏切らない』

食と生命という題材は、古今東西に取り上げられてなお尽きぬ無限の鉱脈だ。

それらはおおむね「生きるために食べる」と「食べるために生きる」の間に広がるグラデーション上のどこかに切り口を置き、さまざまな人生観・世界観をわれわれに示してくれる。

「(よりおいしく)食べるために」の方向では例えば19世紀フランスの『美味礼讃』や本邦なら北大路魯山人の随筆を大御所として、現在はグルメマンガの分野で皆様にもおなじみのことだろう。

今回取り上げる『ご飯は私を裏切らない』も大枠でグルメマンガに類するが、方向としてはどちらかといえば「生きるため」の食をあつかっている。

主人公は29歳、短期アルバイトをくりかえして糊口をしのぐ一人暮らしの女性である。

学歴は中卒。年齢がそのままイコール恋人いない歴。バイト以外の就職経験はない。仕事を3つかけもちの週7労働はざらで、朝早く出かけてノルマと残業でへとへとになりながら夜遅くに帰宅して終わる日々がどこまでも続いていく。友人はいない。困った時に頼れる人はいないし、自分も誰の助けになれない。

厳しく自省してしまえば、かぎりなく詰みに近い状態である。こんな暮らしを続けた果てに、自分はいったいどうなるものか。いや、そもそもどうにかなるほどの価値すら自分には元々ないのではなかろうか。

現実と向き合うほどに不安が不安を呼び、頭痛に見舞われ、幻覚まで見えて情緒不安定になってくる。

……そんな時は、食べるのだ!

心が内向きに悪循環へ陥るなら、外からの刺激を与えていったん思考を止めるしかない。

味覚を刺激し、命をいただいているという感受性を刺激し、おなかが満ちて眠たくなる生理現象を引き起こす。単純明快な肉体のサイクルに余計な悩みの挟まる余地はない。

自分はいつも人の期待を裏切ってばかりだが、美味しいご飯はこんな自分の期待を裏切らずにいてくれる……。

とまあ、なんとも心理的に切実な理由で食事に向かう生活風景をつづる、一風かわった“労働グルメマンガ”なのである。

いい大人がつらい現実から逃れるために悩みを麻痺させるツールというと酒・セックス・薬物・ギャンブルあたりがあるあるだが、そのどれでもなく食という健全な対象を選び、徹底的に掘り下げる本作の調子には抜きんでた鋭さがある。

極限状況下で、命を先へつなぐために食べる。それはつまりサバイバル行為だ。

本作の舞台はべつに絶海の孤島だとか人里離れた山奥ではない。薄暗い茂みの間から飛びかかってくる猛獣もいない。しかし、人々がひしめき物があふれる文明的な都市環境に身を置いても、精神面において今この時に生きるか死ぬかを左右する食事が存在しうるのだ。

「いくらを食べていると生き物とはこうやって小さく生まれて小さく死んでいくものなんだと思える…」
「この世で何も為せなくても別にいいんじゃないかな… そんな気持ちになる…」

絶望的にしょうもない人生を、べつに称揚はしないが否定もしない。この絶妙なスタンス。

ドンづまった状況を描いているし、ビジュアルは陰鬱だし、やっていることもすべて現実逃避だが、主人公の姿勢はすべて「一日でも長く生き延びるために」である。生命の天秤を無条件に生へと傾けるポジティブさがある。まさにサバイバルだ。

また、先に述べた“労働グルメマンガ”とは公式の紹介テキストにある形容なのだが、その労働という要素も本作を支える大きな柱として見逃せない。

工場勤務、試食販売、クーポンの路上配布、etc.……と諸々のアルバイトが毎回描かれるなか、職場で要領悪く失敗を重ねる時のいたたまれない気分、単純作業の最中にうずまく雑念、迷惑をかけた同僚への申し訳なさなど、限界お仕事についた人間の情緒をよくもここまで多彩に表現できるものだと作者の引き出しに感じ入ること甚だしい。

そうした背景をしっかり立てるからこそ、つかのまの食事の味わいで生気を補充する主人公の姿に説得力が出てくるのだ。

主人公の、とうとうと押し流れゆくモノローグを読み、彼女のじっとりとしたまなざしと佇まいを目で追ううち、読者はまるで哀調に満ちた独唱歌に聴き入るような音楽的感覚に呑まれていくことになる。

このマンガが奏でるのは、いわばブルースだ。労働に、家事に、人生に、そして自分自身の存在にほんのちょっとでも“なんかもう色々しんどい”という感情を抱いたことのある全ての人が、それでもなお絶望のすきまをくぐり抜けて生きるためのブルースなのだ。

そしてその趣向は、マンガを含むフィクション作品全般が同じように備える機能へと還元されていく。益体もない一日を終えて眠るとき、明日買おうと思うマンガがあるのなら、それは今日のあなたがまだ死んでいないということである。

おいしいご飯が孤独なフリーターを裏切らないように、このマンガもまたあなたを裏切らない。

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miyamo

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