2021.06.16
ひとりのサキュバスが見届ける、日本における性のありかた300年の変遷。『渇望する果実』BANCO【おすすめ漫画】
『渇望する果実』
ひとりのサキュバスが見届ける、日本における性のありかた300年の変遷
サキュバス、といえば今の日本の漫画では欠かせないお色気要員種族。男性との性交を食事とするため襲ってくる痴女、という夢のようなシチュエーションを叶えてくれるキャラクターになりうる。
しかしサキュバスは「夢魔」だ。昔の伝説では夢の中に忍び込んで、相手の性欲を利用し搾り取る恐ろしい力の持ち主。かなりの長寿な悪魔のはずだ。
食事として最低限に性を摂取し、長生きであるがゆえに多くの人を見送り、夢魔として人の心に触れる存在としてのサキュバスを描いたのがこの『渇望する果実』という作品。日本の各時代でのサキュバスとしての生き様が描かれている大河作品だ。
現在の日本で派遣社員として働く佐々木サキは実際は300歳のサキュバス。彼女は江戸時代に、とある特別な力で地に降り、村の夫婦の元に人間型で生まれた。産まれる前からその色気は周囲を惑わせる。身ごもった母は色っぽくなったため村人に輪姦された。
生まれてからまたたく間に身体が育った彼女を父親は抱いてしまう。ただ食事をしたいという幼い思いが、性を媒介にしているがゆえに人間たちを狂わせてしまう。すっかり人間が怖くなった彼女は山に1人こもり、たまに山を訪れる人間から精を少しもらうだけのひっそりとした生活を送るようになる。
この作品は、サキュバスである彼女が日本の歴史を見ていく成長パートと、今の日本を観察しながら夢魔として人間関係のトラブルを解決するパートのふたつが入れ替わりながら描かれる。成長パートでは大正時代に出会った園芸見習いの若者・川本健治など、彼女が出会った誠実な人間たちも描かれる。命を愛して生きようとする人間と、性的に暴走して攻撃的になる人間の両方を見たことで、彼女が客観的に生命と性を考える様子が物語の大きな軸になっている。
現代パートでは、彼女を男性の性欲でめちゃくちゃにしようとする人間側がピックアップされる。風俗で無理に本番を行い続けて脅迫する常習犯、その弱みを握って女を働かせる営業マン、不倫の末ストーカー被害を起こす上司。悪意と暴力に溢れた男性たちを、夢魔としての力で彼女が暴いてひっくり返していく様子は痛快。
ただ「サキュバスは正義の味方」のような楽しみ方で割り切ってはいないのがこの作品の深み。確かに男たちは醜いほどに性的暴行や強要をしてはいるものの、夢魔として彼女は裁くわけでもないし、お仕置きもそこまでひどくない。長寿であるがゆえに、幼稚な人間を達観して見ている部分もあるだろう。また大正時代の川本健治との約束が彼女を、執行者でも略奪者でもなく観測者に変えたからだろう。
「世界中を花でいっぱいにしたい 全部の花が咲くのを見られないかもしれない ボク一人じゃ足りなくて ボクの子どもやその子どもやずっとずっと先になるかもしれない だからサキさんには花一面の世界をボクの代わりに見てほしい」
精を吸収することで半永遠の命を持つことのできるサキュバスの佐々木サキ。彼女が見てきたのは、自分にはない性で命を次につないでいく力をもちながら、性を乱用してしまう人間。村社会の夜這いの風習や、大正時代の治安維持法による暴行、農村の避妊不足問題、現代日本の風俗店の悪徳。人間の性を、男女とも酸いも甘いも含めて、俯瞰した視点で佐々木サキは眺めている。
「花一面の世界」が本当は何をさすのかはわからない。ただきれいな花も淀んだ花も咲いている現状、それぞれの花としての人間の性を断罪せずに見続けるのが、サキの役割になっていくんだろう。今後も彼女の半生がさらに描かれるようで、2巻では旅芸人のいち座での話も出てくる。歴史を通じ、現在にいたる性のあり方を多角的に描き続けることで、読者の価値観を問い続ける作品になりそうだ。
©BANCO/集英社