コミスペ!

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2018.03.14

【2018年2月】マンガ家が選ぶ 今月の注目! 新連載マンガ

毎月100本以上の新連載が始動しているマンガ戦国時代とも言うべき昨今。その中でも、マンガ家たちが注目した作品をピックアップしていく本連載。

今回は、2018年1月22日から2018年2月18日の間に始まった新連載マンガから「マンガ新連載研究会」(マンガ家による勉強会サロン)が着目した作品を紹介いたします。

『ゾンビバット』

構造のテクニカルさが目を惹く一話でした。

「ゾンビパンデミックから4ヶ月。私はひたすらゾンビを殴っている」

という引きの強い1ページ目で、「これは女子高生がゾンビを殴るマンガなんだな」と読者に強く意識させることにまず成功しています。しかし、一話を最後まで読み進めると、その冒頭部の認識がフェイントであることに気付かされ、この作品が本当は「女子高生が○○を殴るマンガ」であることが明らかとなります。

そのモチーフ自体はゾンビものでは何ら珍しくなく、むしろ王道ど真ん中ではありますが、冒頭部で読者に「こういうマンガなんですよ」と強く刷り込むことに成功したことで、オチの王道ど真ん中を意外性に昇華している。これは構成の勝利だと思いました。

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『裏世界ピクニック』

「女子ふたり怪異探検サバイバル」と銘打たれた本作。廃墟探検の末に異世界<裏側>への扉を見つけてしまった女子大生が、裏側で知り合った女子とふたりで裏側の世界を探索します。

本作の特徴は現実世界との地続き感が強いところです。異世界に行ったきりではなく、ちょちょいと現実に戻ることができるし、裏側の世界で拾ったものを持ち帰って現実世界で売却することもできます。こういう「通常の方法以外でお金持ちになる」っていうのに僕はドキドキしますね。バイトとか仕事の受注とか以外の方法でお金稼ぎたい。そういう夢がある。

また、裏側の世界には拳銃などがちょこちょこ落ちているらしく、以前に軍隊などによる調査、もしくは迷い込みがあったことを思わせるのもドキドキします。この世界には、物語が始まるずっと以前から、現実と地続きの歴史があるんだなあ、って。

なお、主人公たちは探険時は拾った銃器で武装しているんですが、当然、持ち帰った拳銃は現実世界でもトートバッグなどに入れて持ち歩いているわけで、「それ、見つかったら社会的にヤバいよ!」というハラハラ感もありますね……。

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『コーヒーとボク』

マンガ家・相原コージの息子さんである相原民人さんによる自叙伝マンガ。マンガ家を目指していた相原民人さんがコーヒー屋を経営するに至るまでの話を描きます。作品の執筆動機は「ボクがコーヒーで表現したいものを、もっとたくさんの人に知ってもらうこと」

作品のクオリティうんぬんというよりは、その執筆意図に未来を感じたので今回取り上げました。
海賊版サイトなどでマンガ作品のフリーライドが問題視されている昨今ですが、「作品とそれへの対価」という形以外でのビジネスモデルが構築できるのであれば、それは一つのアンサーとなるわけで、本作にはその可能性を感じたのです。

例えば本作であれば、仮に無料で読まれたとしても、少なくとも筆者の初期の目標だけは達成できるわけです(とはいえ、無論、著作権侵害が許されるわけではありませんが)。本作はいわば企業の広告マンガ(進研ゼミが一番有名ですね)に近しい立ち位置だと思うのです。

もちろん、日本のマンガ界が「企業の広告マンガ」で埋まってしまうと、海賊版にまつわる著作権侵害問題をたとえクリアできたとしても別の問題が生じてきます。スポンサーの意向にクリエイターが逆らえなくなるし、スポンサーから独立した形でのクリエイティブ活動でお金を稼げなくなります。『コーヒーとボク』にしても、実際に海賊版サイトで著作権侵害されると少なくとも今の形での連載は続かなくなるでしょう。

なので、簡単に「日本のマンガは全て企業の広告マンガにすればいい」とは言えません。しかし、『コーヒーとボク』のスタイルは、現行の著作権ビジネスに対する何らかのヒントとなりそうな気がしているのです。

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『かなたこなた』

妖怪的な存在が見える姉妹の物語。小学生の妹は妖怪が見えることを平然と口外するのに対して、姉は世間体をはばかり、「見えているのに見えていないフリ」をしています。

ところで当研究会は、毎月たくさんの新連載マンガの一話を読んでいるのですが、最近とみに思うのが、「一話だけを読んでもどういうマンガなのか分からない作品」が多いということ。特にWeb掲載作品に多い印象があります。

なので、私たちマンガ新連載研究会にとっては、「このマンガはよく分からなかった」「これもよく分からなかった」みたいなことが多くなってきていて、活動上の危機感を感じてもいるのですが(苦笑)、その中でも「一話だけ読んでもよく分からない」作品も二分されると感じています。つまり、

「一話だけ読んでもよく分からない(なので読むのをやめる)」
「一話だけ読んでもよく分からないが面白い」

このどちらもあるのです。この違いが一体何に根ざしているのか、というのが今の個人的な問題意識です。

本作『かなたこなた』後者のマンガだと感じました。なぜ本作が後者だったのか。それを検証する際に以下のような仮説が生まれました。

まず、本作の冒頭部。これはおそらく「コトリバコ」という、2ちゃんねる発祥のオカルト話に由来するネタであろうと研究会内で指摘がありました。

筆者は「コトリバコ」を知らなかったので、何も気付かずに読み流していたのですが、「コトリバコ」のことを知ってから本作第一話を読み直すと、冒頭の姉妹たちがおそらく喪服であることに気付きます。また、妖怪たちとのハートフルなふれあいに見えた描写が全く違う不気味なものに見えてくるなど(呪いの影響?)、第一話の読み味が全く変わってくるのです。

ひょっとするとポイントはここなのではないか、と。
「コトリバコ」のことが分からなくても、読者にそれを分からせる気がなくても、作者が何かを仕掛けていることに読者が無意識的に勘付いており、その結果として「よく分からなかったが、何かある気がした」と思わせているのではないか。それが「面白い」という感覚に繋がっているのではないか、と。

もちろん、これはかなり乱暴な仮説であり、現状ではまだ思いつきの域を出ません。また、この仮説一つで「よく分からない作品」と「よく分からないが面白い作品」の違いを全て説明できるとも思いません。しかし、この仮説を念頭に、筆者は今度も作品を見ていきたいと考えています。
ここをうまく理論化できれば、「一話目で作品の企画性(どういうマンガなのか)を読者に説明する」という作劇のセオリーを崩して、創作の幅が広がると思うんですよね。

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「よねまる」の過去作


以上、100作品以上の中からピックアップした4作を紹介いたしました。他にも特筆すべき作品は幾つもありましたので、新連載作品に興味を持たれた方は、こちらから色々な作品を読んでみてくださいね。

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