2018.11.15
【日替わりレビュー:木曜日】『セッちゃん』大島智子
『セッちゃん』
私もセッちゃんになりたかった
私たちは、一人の少女のあっけない人生を終わりを知ってから、この物語を読むことになる。
若い世代からの人気を集めるイラストレーター・大島智子。彼女初のマンガ作品が先日完結し単行本となって発売された。
誰とでも寝てしまう女の子・セッちゃん。誰にも興味を持てない男の子・あっくん。同じ大学に通う二人は、時代の大きな波の中で、次第に交流を深め、心の距離を縮めていく。
誰とでも「セックス」をするから、という意味でセッちゃんと呼ばれる彼女は、およそ自分の意思をもたず、流されるままに生きている。儚げで、隙だらけで、誰とも付き合わない。ただ気持ちいい、という感情以外にもちたくないから、セッちゃんはセックスしかしない。
一度同級生の死体を見てしまってから、妙な感傷に悩まされるあっくん。しかしそんな感情は、磯丸水産で大学の友達と飲んだり、少女マンガのヒロインに憧れる馬鹿な彼女と付き合っている限りは、忘れられることができた。
そんな二人の穏やかな日常は、とある「暴力」の登場により一気に様相を変える。
いつもは能天気なことばかり話していた大学の友達や彼女は、「暴力」による「惨劇」が起こった途端、人が変わったようになる。あっくんやセッちゃんは、なぜ、人はそんなにすぐに変われてしまうのだろう? と戸惑いながらも、周囲の人々の急激な変化についていこうとしない。
無防備で流されるままにセックスをしていたセッちゃんは、しかし、時代の空気感に流されることはなく、暴力が横行する深刻な街の中でも変わらずセックスを求めた。その姿を見ていると、セッちゃんと、セッちゃんを馬鹿にしていた人たち、果たして、流されやすいのはどちらだ? とどうしても考えてしまう。
何か大きな事件や災害が起こったときに湧き上がる、自分の正義感のようなもの、や、義憤のようなもの、を生々しく目の前に掲げられているような気持ちになる。あれは本当に私の生きた感情だったのだろうか。
コントロールできない、変容していく世界の中で、あっくんとセッちゃんは立ち止まる。その立ち止まっていた二人の時間は美しい。私もセッちゃんのように生きてみたかった。その人生はあまりに儚いけれど、セッちゃんの感情は確かにその世界の中で生きていた。
©大島智子/小学館