2020.03.17
【インタビュー】『俺を、たたせてみろよ』嶋永のの「誇りをもってエロを描いているし、このジャンルが本当に大好き」
事務のアルバイトをしながら、会社に内緒でBL漫画家もしている村里梅子。編集者から漫画にエロスが足りない、生の男性器を見たことがないだろう、と指摘を受ける。
男性器を描かないとクビだとまで言われた梅子は、普段BLのキャラクターとして参考にしていた上司・宮門壱に「ち●こを見せてくれ」と頼み込んで──。
どこか抜けていて危なっかしい梅子に、振り回される上司の壱。そんなふたりのエッチなやりとりが大人気のティーンズラブ作品『俺を、たたせてみろよ』の第2巻が発売した。
いまやティーンズラブ作品で多くのファンをもつ、作者の嶋永のの先生だが、一度は少女漫画家としてプロデビューをした経験もある。20代を少年漫画や少女漫画のアシスタントとして過ごした嶋永先生は、どのような経緯でティーンズラブというジャンルに足を踏み入れたのか。
最新刊発売を機に、その半生や作品にかける想いについてお話を伺った。
漫画家になって夢の印税生活をしてみたかった
──この作品が生まれた経緯は、第一巻のあとがきにもありますが「オカン男子(女性に世話を焼く男子)」を描きたいというのがきっかけなんですよね。
嶋永のの先生(以下、嶋永):そうですね。次の作品を考えていたときに、担当編集とオカン男子とオタク女子で何か作れないかな、という話になって。そこから色々と膨らませていった結果、主人公はBL漫画家として伸び悩んでいて……という設定につながっていきました。
──先生ご自身もBLは読みますか。
嶋永:大好きです。それこそ、自分が最初に投稿したのはBL作品だったんですよ。
──え、そうだったんですか。
嶋永:初投稿が16歳のときだったんですけど、ちょうどその頃第一次BLブームがきていた頃で、同人誌即売会にもいける年齢になって、わりと過激なBL作品に触れることが多かったんですよね。だから自分が読みたいやつを描いてみようと思って。
──漫画家を志したのはいつ頃からだったんですか。
嶋永:8歳くらいの頃ですね。
──早いですね。
嶋永:とにかくお金を儲けたかったんです。ちょうど8歳くらいのときにテレビで漫画家が儲かるという話を聞いて、じゃあ私もなろう、と。当時はさくらももこ先生が活躍していた時期ですね。
これは偶然ですが、小さいころから周りに絵がうまい人や漫画が好きな人が多かったのも大きいです。中学生にあがるころには、周りの友達が「これからはデジタルだ」って言い始めていた。
私も言われるがままに、兄がもっていたパソコンをお下がりでもらって見よう見まねで描き始めたりしていました。正直私は絵が下手な方で、最近やっと画力が描きたいものに追いついてきた感じですね……。
──自然と漫画を描く習慣がつくような環境だったんですね。
嶋永:そうですね。すでに中学生の頃には自分でいくつもネームを描いたりしていました。そしたらあるとき突然、同級生の子が「別冊マーガレット」でデビューをしたと騒ぎになって。
お互いに漫画を描くことは知っていたけど、まさかそんな段階までいっているとは思わなくて、とにかく焦りました。そこで初めて漫画を描き上げて出版社に持ち込みにいったんです。
──反応はどうでしたか。
嶋永:編集部のみなさんは優しく受け入れてくれて、賞もいただきました。でも、いま振り返ると、若者に対するお情けですね。
結局デビューにはつながらなくて、その後は専門学校に入って、そこに紹介してもらった出版社でアシスタントを始めます。一番最初にお世話になったのは、とある少年誌の先生ですね。
そこで一から漫画の描き方を教わりました。最初の一ヶ月半くらいは、ひたすら線を引き続ける作業を繰り返し、プロとして通用する線が引けるようになったらホワイトを使って消す作業をさせてもらったりとか、最終的にはひとりで仕上げまでできるように育ててもらって、この頃アシスタントとして学んだことはその後の自分にとっても大きな武器になりましたね。
夢ってこういう風に叶うんだ、って
──その間もオリジナルの漫画は描き続けていたんですよね。
嶋永:描いてました。アシスタントは少年漫画でしたが、私自身は少女漫画の方が向いていたので、少女漫画のネームを作ったら先生に添削してもらったりしていて。そしたら急に賞をとれるようになったんです。二回目に賞をとったときに、プロとしてデビューしました。それが21歳の頃です。
ただ、そこで大きな壁にぶち当たってしまった。とにかく売れないし、自分が描いている作品が面白いのかも判断できないんです。デビューしてから、出版社のパーティなどで大御所の作家に会う機会も増えたのですが、彼らと私はまるで見ている世界が違うように思えた。
そこで気づいたんです。私の夢はあくまで「デビューすること」であって、「面白い作品を描くこと」ではなかったんですよね。
周りの、いわゆる天才的な漫画家は、まず漫画が好きで仕方なくて、「素晴らしい作品を作りたい」というモチベーションがあった。私よりもずっと視座が高くて、自分の目標が陳腐に感じました。
この世界では、どれだけ頑張っても彼らには勝てないって悟ってしまった。上手い人はいくらでもいて、ここじゃ私が活躍できそうにないな、って。気持ちの時点で負けちゃったんですよね。
──デビューしたからこそ知った厳しい現実ですね。その後どうしたんですか。
嶋永:それから、一旦漫画家は諦めました。といっても絵は描けるから、イラストを仕事にしていたんです。3年くらい経った頃、たまたまラブグッズを販売している企業のアルバイト募集を見つけました。そこの募集要項に「漫画が描ける人」とあって、ちょっと面白そうだなと思って軽い気持ちで応募したんです。
仕事内容は、ラブグッズのオンラインサイトに、商品を絡めたちょっとエッチな漫画を掲載するというものでした。そこで初めて「ティーンズラブ」というジャンルを知ったんですよね。
──そこが初めての出会いだったんですね。
嶋永:企業の人に「ティーンズラブ描けますか?」と聞かれて、なるほど女性向けのエッチな漫画があるのか、と知ったんです。
もともとアダルトなコンテンツは好きだったし、これなら少女漫画家を卒業した人にも合っているかもしれない、と思いました。実際、描き始めてみたら、まったく悩まずに、まるで息をするかのように描けるんです。
それが楽しくて、その会社を辞めたあとは再び商業でティーンスラブの漫画を描き始めることになりました。どの作品も、エッチなシーンは一切リテイクが入らない。やっと、これが自分にとっての天職だ、って自信をもって言えるようになった。
もともとエッチなものが子どもの頃から好きだったので、このジャンルで作品を知ってからはティーンズラブ作品もたくさん読むようになりました。
──特に好きな作家さんや作品などはありますか。
最近好きでオススメなのは、川野タニシ先生の『指先から本気の熱情~チャラ男消防士はまっすぐな目で私を抱いた~』、虎井シグマ先生の『その警察官、ときどき野獣!~鍛えたカラダに守られ&襲われる絶倫生活~』や、羽柴みず先生の『お前のすべてを抱き尽くす~交際0日、いきなり結婚!?~』、柚樹ちひろ先生の『獣人さんとお花ちゃん』などですね。
どれもすごくエッチで面白いし、女の子が可愛いんですよね。ちなみに、ティーンズラブを描くときは担当編集から決まって「女の子を可愛く描いてください」と言われます。
これは少女漫画のときには言われないことだったので、新鮮でした。男の子の格好よさが優先される少女漫画との違いですね。
漫画を描くスキルや、自分が描きたいもの、今まで観たり読んだりしてきたもの、など色々な条件が揃って、自然と自分が行き着いた場所なんです。夢って、こういう風に叶うんだなってしみじみと思ったことを覚えています。
©嶋永のの/モバイルメディアリサーチ
1/2
2