2018.07.23

【考察】『それはただの先輩のチンコ』まるだしチンコ無修正の謎に迫る!!

新連載マンガ作品の分析を行うマンガ家の勉強会サロン「マンガ新連載研究会」。その会員たちを衝撃が襲ったのは昨年11月のことであった。当月に始まった太田出版の新連載『それはただの先輩のチンコ』を読んだためである。

©阿部洋一/太田出版

「な、なんだ、この作品はっ!!?」
「チ、チンコが……」
「無修正じゃないか!」
「うあああッ、うわああああッ!?」

混乱するマンガ家たち! こんなことが許されるというのか!? 

本作『それはただの先輩のチンコ』は男の子から切り離されたチンコがカブトムシめいて自律行動する、ちょっと不思議な現代世界で、男の子への恋情とチンコへの恋情が入り交じる思春期少女の複雑な心情を描いた恋愛マンガである。だが、それはそれとして……いいのか!

まるだしな上に無修正だぞ!?

この作品を読んだマンガ家、うめ丸先生(ピザッツDXなどで成人向け作品を公開し、現在は「eヤンマガ」にて『HENTAI』を連載している)は本作を読んでこう語った。

『HENTAI』(講談社)

うめ丸先生一般誌すごい……!と思いました。成人向け雑誌では難しい表現だと思います。成人向けの電子だと紙よりもさらに表現の規制が厳しいけど、流通大丈夫なのかな……。

だが一方で、「コミックXEROSS」などで成人向け作品を発表しているミナギリ先生は、この描写に対し、「問題ないのでは?」というクレバーな見解を示した。

ミナギリ先生デフォルメの効いた描き方だし、作品そのものも性行為を見せることを目的としていないので、修正はいらないのでは? 成人向け作品とは全く方向性が違うと思います。

……確かに言われてみれば、児童誌では男の子のチンコがあけっぴろげに陳列されるケースも多い。あれっ? じゃあ、これも問題ないのか……?? 

しかし、両先生共に「何が修正されるかは出版社の担当次第。編集者がどこに基準を置いて修正しているのかはよく分からない」とのことだった。ハッキリとした回答は見い出せないまま、月日は流れ、半年が経過……。

そして、『それはただの先輩のチンコ』の単行本発売が間近に迫った今、筆者はかねてよりの疑問に答えを出すべく、調査を開始したのだ!

勃起してなければOK!

©阿部洋一/太田出版

果たしてチンコはどこまでなら無修正可能なのか? その答えを求めて、筆者は『エロマンガ表現史』などの著作を持つ美少女コミック研究家、稀見理都氏へと取材を行った。

『エロマンガ表現史』(太田出版)

その結果、「勃起してなければOK」という意外な(?)アンサーを得たのであるが、結論を示す前に、順を追って流れを見ていこう。まず氏は、本作の表現に関しては「全然問題ない」という見解を示した。

稀見理都氏(以下、稀見):これは全然問題ないと思う。……でも、なぜ大丈夫なのか、と言われると、これは難しい。出版界は長年の慣習によりOK、NGのラインをうっすらと形成しており、編集者の感覚として、そのラインが何となく分かる感じだから。僕もそういったエロマンガの表現の歴史を研究してきた人間なので分かる。でも、その感覚を持たない人に伝えようとするのは難しい……。

──本作で言えば、どの辺りが「感覚的にOK」だと感じられたのでしょうか?

稀見:分かりやすく言うと、基本的には勃起してなければ大丈夫だと思う。あと、判例があるわけではないので断言はできないけど、実物が独立している(=男性の身体にくっついていない)男性器も大丈夫なはず。例えばディルドは外見的には男性器そのままだけど、修正が入らないこともある(出版社次第)。

©阿部洋一/太田出版

──法律的にはどの辺りで線引がされるんでしょうか?

稀見法的にはまた曖昧なので難しいんだ。刑法的には『わいせつと感じるか』が問題なんだけど、『何が人を興奮させるか』の基準は書かれてない

つまり、チンコを描いちゃダメともイイとも書かれてない。わいせつかどうかだけ。裁判官がわいせつだと言ったらわいせつになる。小説作品がわいせつだと言われたことが昔はあったけど、最近は小説はOKになった。いろんなものが解禁されたり、解禁されたと思ったらNGになったりする。時代時代の社会通念(みんなが何をわいせつだと思うか)次第なので、裁判にならないと分からないんだ。

──なるほど。編集者はその感覚を感じ取ってOK、NGラインを見定めてるんですね。

稀見:だからテーマも重要。『人を興奮させるための作品ではない』なら、それはアート文脈になるので修正は要らないと思う。チンコが描かれていること自体じゃなくて、その文脈が大事。チンコが無修正だからって、それだけだと本来別に騒ぐことじゃないんだ。

でもアカデミズムの世界でもなかなか難しくって、僕の『エロ漫画表現史』も北海道で有害図書指定を受けてる。僕の研究書を見て興奮する人なんて、そうそういないと思うんだけど、エロマンガの図版を扱ってるってだけで、文脈ではなく、そういう判断をされかねない。こういう状況は今後変わっていくべきだと思う。



以上である。「勃起していなければOK」というのは、「これは人を興奮させるための文脈ではない」ということの証左だからであろう。

それにしても耳が痛いのは、「チンコが描かれているかどうかではなく、その意図が大事」という言葉だ。チンコにモザイクが掛かっている表現を、私はあまりに見慣れてしまっていたため、「チンコ=隠さなければならない」と思い込んでしまっていた。ゆえにチンコまるだしに驚いてしまったのだが、そこで驚いたこと自体が、私が性表現に対して思考停止していた証拠であったのだ。

チンコを写実的に描きたいという欲求

©阿部洋一/太田出版

さらに筆者は太田出版を尋ね、『それはただの先輩のチンコ』担当編集である村上清さんにお話を伺った。

──稀見理都先生からは、問題はないと思う、という見解をお聞きしました。担当編集さんとしては、まず作品を見られた時にどう思われましたか?

村上清さん(以下、村上):そもそも『修正が要らない』と判断したからスタートした、というのがありますね。私としては『どれだけ写実的にリアルか』というのがポイントだと思っており、本作のチンコはデフォルメされた記号的表現に留まっている、と判断しました。

──では、仮に全く同じ作品性であっても、チンコが写実的だったら修正が入っていた可能性はあった、と?

村上:可能性はありましたね。作者の阿部先生とは『これ以上、写実的にならないかどうか』というのを打ち合わせてから初めました。その上で稀見理都さんの仰ってたように、文脈的にも問題がないので、それなら修正の必要はない、という判断ですね。特にタブーに挑戦してやろうとか、そういう気持ちでやっているわけではないです。

©阿部洋一/太田出版

──なるほど、編集側の感覚からすると、これが無修正なのはごく普通の判断なんですね。しかし、マンガ家側からすると、どういう表現をしてしまうと修正を余儀なくされるのか分かりにくいと思うんです。本作と同じような方向性で作品を作りたい作家に対して、修正されないためのアドバイスなどはありますか?

村上:企画の段階で『何がやりたいか』ということが大事だと思います。阿部先生はもともと少年マンガ誌の作家さんだったこともあり、チンコ自体を写実的に描きたいという欲求が他の何よりも優先する、という作家さんではありませんでした。

一方でチンコを写実的に描くことに強いこだわりを持っているエロマンガ家の方もいらっしゃいます。どちらが優れているという問題ではなく、後者だと修正が入る可能性がどうしても高くなってしまう、ということでしょうか。修正が入っても面白い作品は多々ありますが。

──ということは、エロを目的としない作品だと作家が初めから意識しているなら、修正が入らないように、担当編集としっかりコミュニケーションして、作品をコントロールしていくのが大事、ということでしょうか。今回だと、担当と話し合って、写実性を高めないことで、そこがクリアできて、作品の本来の意図を修正なしで表現できたように……。

村上:そうですね。なんか当たり前の結論になっちゃいますけど……。有害図書を決める審議会も結局は主観による多数決で決まってて、明確なルールはないんです。

だから、編集者側からしてもハッキリとした線引が分かるわけではありません。本作にしても、私は十分記号的な絵だと思いますけど、それでも写実的に感じる人や、違和感を感じる人もいるかもしれません。けど、それはどんな作品でも起こりうることなので、読者の反応が予測しきれなくても、出すべきと思った作品は出します

──ありがとうございました。最後に、読者の方へのメッセージなどはありますでしょうか?

村上:タイトルに臆せず、ぜひ手に取って下さい(笑)。



そんな阿部洋一先生の『それはただの先輩のチンコ』単行本は7月19日に発売された。

また阿部先生、稀見理都先生、村上清さんらによる単行本発行イベント8月3日に予定されている。

思春期少女とチンコの不思議な関係を、ぜひ皆さんにも手にとって頂きたい。

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この記事を書いた人

架神 恭介(@マンガ新連載研究会)

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