2018.10.06
【日替わりレビュー:土曜日】『だんだらごはん』殿ヶ谷美由記
『だんだらごはん』
新選組。
“幕末の京都を駆け抜けて散った武装警察組織”という鮮烈なキャラ立ちによって、フィクション・ノンフィクション問わず題材の宝庫となっている存在だ。隊士がゾンビに噛まれてドタバタする『新撰組オブ・ザ・デッド』なんて変わり種もあるほど、テーマの受け皿としての懐は深い。
そんななか、近年に「その題材があったか」と目をひいたのがこちら、『だんだらごはん』。「月刊ARIA」のPixiv限定タイトルとして2016年6月に始まり、(おおもとのARIAは今春休刊してしまったが)連載継続中の作品である。
「だんだら」はもちろん、新選組が活動初期に着ていたダンダラ模様の羽織を指している。そこに「ごはん」。さてどういうことか。
時は文久の初期……まだ江戸にいて剣術の道場通いをしていたころの山口一(後の斎藤一)と沖田総司が、稽古上がりに屋台の揚げ物をつまむ姿から本作は幕をあける。熱いモノは熱いうちに食うのが信条の江戸っ子である一が串揚げの味を楽しんでいると、総司がひとなつっこく寄ってきて自分は猫舌だからとわざわざエビ天の衣を外して食おうとする。そんな総司を眺めながら、一は「ウマが合わない」と苦手意識をにじませる。
第一話の序盤わずか数ページで、食べ物を媒介に人物の性格や関係性、心理的な距離感までコンパクトにあらわす手際がスマートで感心させられる。
さらに、ふたりが師事する試衛館の若先生こと近藤勇が、身分の低さを理由に幕府の修練所(講武所)に教授職の採用をしてもらえなかったという当時の出来事を軸に、気持ちが沈んで食が細った近藤へ美味しいものを差し入れて励まそう、と上手いこと「ごはん」につなげる流れが面白い。
剣は得意でも料理はド素人の一と総司。レシピ本をにらみながら苦労して鍋にダシを煮立て、そっと注いだ卵が泡立ちスフレ状になった「玉子ふわふわ」をなんとか完成させる。それがめでたく近藤先生の口に合い、元気づけることに成功。このなりゆきで、一はやがて総司や近藤と共に将軍警護の浪士組へ加わり上洛することに……。
という具合に毎回、史実の要所要所に食事を挟み、しかもそれを人物の状況や心理の代弁とするエピソードが重ねられていく。
とりわけ印象的なのが、壬生浪士組で最初の内部粛清といわれる殿内義雄暗殺の事後を描いたWeb連載第15話。
個人や派閥の確執によって血を流す自分たちが、最初の志からどんどん離れていくのではないかとナイーヴになる総司が、お汁粉を食べてしみじみとつぶやくセリフがいい。
「お汁粉の味がする」「何があってもお汁粉はお汁粉 どんなことが起きても変わらないんですね」
避けられない変化への諦念と、それでも変わらないでいたいという願いを同時に託した総司の言葉。
大きな歴史の荒波に呑まれる者たちの運命をごくささやかなモチーフで象徴するとともに、過ぎ去って若者を不可逆に変えていく青春のかげりを普遍的に表現しており、このうえなく味わい深い。
ひとがものを食べるということは、生きて前に進む意志があるということ。
それを、史実において外部で斬り捨てた人間の数よりも内部粛清で出した死人の数のほうが多い新選組に組み合わせることで、生と死の狭間に命を切なく燃やす青年たちの若々しい喜怒哀楽がきわだっていく。
これは“新選組をつかった食べ物マンガ”でありつつも、同時に“新選組マンガ”そのものであり、またすぐれた“青春マンガ”でもあるのだ。
©殿ヶ谷美由記/講談社