2019.03.19
【インタビュー】『鬱ごはん』施川ユウキ「”細かな日常”に目を配れば、人生は成立する。」
「ヤングチャンピオン烈」(毎月第3火曜日発売・秋田書店)にて連載中、施川ユウキ先生が描く、『鬱ごはん』の第3巻が発売された。
就職浪人の鬱野たけしの日々の食生活を描いたこの作品は、豚焼肉定食を食べながら「荘厳なるブタの死」を想像したり、賞味期限の切れた缶入りのコーンスープをトイレに流したり、孵化後に無数の穴が空いたコモリガエルの背中を思いながらホットケーキを焼いたり、よくここまで食欲を“減退”させる描写が考えられるな、と賞賛したくなるような異例のグルメ漫画だ。
連載から9年。当初22歳だった鬱野くんも、もう31歳。果たして彼はいつまで就職浪人でいるのか。そもそも、就職する気はあるのか。
『鬱ごはん』が生まれた経緯から鬱野くんの現在の心境、これから彼が歩む人生について、施川ユウキ先生にお話を伺った。
(取材・文:園田もなか/編集:八木光平)
あげるときは、捨て方まで考えてほしい
──『鬱ごはん』第3巻発売おめでとうございます。最初は22歳だった鬱野くんが、気がついたら31歳になっていて、改めて時間の経過に驚きました。
施川ユウキ先生(以下、施川):連載を始めたのが、2011年くらいですから。約9年です。僕は今年漫画家になって20年なので、半分近く『鬱ごはん』を描いてきたことになります。
──そもそもこの作品は、編集から「グルメ漫画を」という提案から始まったと聞きました。
施川:そうです。どうして僕にという理由はよくわかりませんが、当時はグルメ漫画人気に少しずつ火がつき始めている時代で、創刊したばかりの「ヤングチャンピオン烈」でもグルメ漫画枠が欲しかったのかもしれません。
ただ、僕は絵が下手なので、「飯漫画は絵がうまくないと美味しそうに見えない」と言ったのですが、結局「じゃあ、美味しそうじゃない作品を描けばいいのかな」と。
──鬱野くんの食生活や作品のネタは、施川先生の実体験から掘り出して描いているんですか?
施川:最初はそうだったんですけど、さすがに最近はネタを探しに行っています。一回ご飯を食べに行って、そこで可能なら資料写真を撮って、ネームを作る。そこから追加の写真目的で食べに行くときもあるし、わりとギリギリまで作画しています。
──私はこの作品で缶入りのコーンポタージュをトイレに捨てる回で「すごいものを読んでしまった」と一気に好きになったのですが、あれは実話ですか?
施川:9年前ですが……実話です。すみません、反省してます。というか、これ、秋田書店からもらったやつです、たしか。
担当編集:そうなんですよ。
施川:今はもう送られたりはしないんですけど、以前毎年お中元などで缶入りのスープとかジュースが送られてくることがあって、でも別に飲まないし、といって捨てられもしないから、どんどん溜まっていっちゃって。
──秋田書店からもらったコーンポタージュを捨てる話を、秋田書店の雑誌に掲載したんですね。
施川:そういう”役立て方”をしたんですね。
担当編集:あの回は、一応それまで何かしらを食べる“食漫画”だったのに、「何も食べてないじゃないか」って編集部でも少し騒ぎになりました(笑)。
施川:これ、僕だけじゃなくて、けっこう多くの人が感じてることだと思うんですけど、缶とかビンとか中身が捨てづらいものって、もらって「参ったな」ってなることあると思うんですよね。だから、誰かに物をあげるときは「最悪捨てられる」と思って、まず捨てやすさを考えて贈りたい……、って思います。……こういうこと言うと、怒られるのかな。
ちなみに、コミックスにするときに「やってはいけないことだ」と注意書きを入れてくれ、というのはお願いした覚えがあります。すごく小さく入っているんですけど。
食べることの本質とグルメは別物
──『鬱ごはん』はとにかくグルメ漫画のアンチテーゼのような立ち位置の作品ですが、たとえば他のグルメ漫画を読んでいて普通に「美味しそうだな」と思うときはあったりするんですか。
施川:あるといえばあるけど、そこまで、という感じもあります。たとえば『美味しんぼ』とかすごい好きなんですけど、食べながらうんちくを語るくだりとかはすっ飛ばして、海原雄山と山岡士郎がバチバチしてるシーンとかを楽しんでます。
──グルメ漫画の見せ場はうんちくではない?
施川:うーん、読んでもだいたい忘れちゃうんですよ。『名探偵コナン』とかでも、コナンがトリックを説明しているところはすっ飛ばして、「犯人はお前だ!」って言ってるシーンを楽しむというか。勝手に、みんなも実はそう読んでるんじゃないかな? って思っているところもあるんですけど。
うんちくやトリックの説明は情報を見せているのではなく、「こういう理屈とかごちゃごちゃ言う奴」っていうキャラクターを見せている場面だと割り切ってます。『バーナード嬢曰く。』っていう読書漫画も描いているんですけど、基本的に本の内容説明とかしてるコマは読み飛ばされていると思いながら描いてます。
──そもそも施川先生ご自身にとって、「食」の重要度ってどれほどですか。
施川:ご飯は毎日食べるわけだから、そういう意味では大事です。
──たとえば、より美味しいものを食べるために、評判のいいお店に足を運んだり、ちょっと値段の張るカレーを食べに行ったり、とか。
施川:それはグルメの話ですよね。グルメもそうだし、生きるための食生活とは意味合いの違う「食」が、「うまい」とか「まずい」で一緒くたに語られている気がしてるんです。たとえば、一箱5000円の高いチョコレートがあるとして、普通の100円のチョコレートと比べて値段は50倍なんだけど、味は50倍うまいわけじゃないですよね。
そういう高いチョコレートは、他人にあげるために買うものであって、自分へのご褒美でもいいですけど、食生活とはあまり関係がないと思うんです。
仮に「うまい」ということを、脳内で快楽を感じることと定義するならば、すごくお腹が空いているときに糖質があって脂っこいものを食べるのが一番うまいに決まってるじゃないですか。
──確かに、食べることの本質と考えたら、グルメのうんちくは少しずれますね。
施川:グルメというのは、ある種教養なんだと思います。たとえば、美術館に行って絵画を見るときに、「何も考えず感じてください」という意見もあるけど、そんなわけないじゃないですか。その絵画の背景にある美術史を理解していた方が、絶対に“良さ”みたいなものはわかると思うんですよ。
──グルメも芸術も、教養となる知識があるからこそ楽しめるという点では同じだと。
施川:「うまい」っていう動物的な快楽と、「わかる」っていう知的快楽をつなげることで別の「うまい」を定義づけてるんじゃないかって思うんです。味そのものには限度があるけど、情報には限度がない。だから大量の情報でどこまでも深めることは可能だし、豊かな文化のひとつとして成立させることができるという……。
それは、グルメ漫画というジャンルがどうしてこれほど流行り、色々な作品が出ているのか、という点にも通じると思います。要は、情報で「料理が美味しいこと」の説得力をもたせられるんだと。
『ラーメン発見伝』に「奴らはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ!」っていう名セリフがありますが、情報はある意味触れた時点でうまいんです。食べる前からすでに。そうなると食べることは確認作業でしかなくなってしまう。
©施川ユウキ/秋田書店
1/2
2