2020.07.18

牛乳配達の仕事をしている作者の経験を細やかに切り取った、エッセイコミック!『牛乳配達DIARY』INA【おすすめ漫画】

『牛乳配達DIARY』

時は2017年9月7日。Twitter上に、こういう画像つきツイートが投稿されて注目を集めた。

暑い夏の日、牛乳配達員がサンプル品を携えてとある家を訪ねる。

すると上半身すっぱだかのおばあさんが出てきて配達員はパニックに。その慌てぶりに「おたく…商売向いてないと思うよ」と遠慮ない言葉を投げるおばあさん。しばらく雑談を交わしてから配達員が立ち去る間際、おばあさんは「水分とってがんばってなあ」と栄養ドリンクを渡してくる。

あとでそれを一口のんだところ、どうも味がおかしい。見れば賞味期限が2年前に切れている。公園のベンチに腰かけたままうなだれる配達員。遊びはしゃぐ子供たちの声が響く……。

たった4ページ、大きな事件が起きたわけではない。けれどキャラが立った人物がいて、オチがついていて、たしかに「漫画みたい」に面白い出来事だ。ラストの光景の、一抹の侘しい情感もいい。

かくして作者INA先生は技術的にはまったく初心者の状態で、手探りのようにエッセイコミックを描き連ねていく。それを『DELIVERY MANGA』というタイトルでリイド社の「トーチ漫画賞」第1回に投稿したところ、見事に大賞を獲得。『牛乳配達DIARY』に改題して単行本化されたのが本作という次第だ。

ネット上が初出であり出版社のwebマンガサイト(トーチweb)でも一部配信されているので、いちおうwebマンガ相当ということで今回ピックアップさせていただきたい。

平成30年夏から翌年秋にかけての愛知県を舞台に、ひとりの牛乳配達員がさまざまな家をめぐり、さまざまなお客さんからさまざまな応対をされる日々の記録がここにはある。

楽な仕事ではない。遅れともいえない時間のズレを叱られる、業務用の自動車でうっかり追突事故を起こしてしまう、未契約の過程に営業をかけるもうまくいかず上司ににらまれる、道ゆく途中で幼児から「なにしてるの?」と問われて思わず自分の人生に哲学的な疑問を抱いてしまう、等々。

けれど一方で、気持ちが温かくゆるむような経験もしばしばしている。お客さんからの親切な差し入れや励ましの言葉。移動中に見かけた香り高い花々の名を学ぶ楽しさ。ちょっかいをかけてくる子供と戯れる気軽さ……。文字通り、悲喜こもごもだ。

リイド社公式の作品紹介に「戻りたくないけど懐かしい日々」というフレーズが添えられているが、言いえて妙だろう。

そうした描写がこつこつと積み重なることで、本作は「牛乳配達はどんな仕事か」という以上に「牛乳配達をしているとどんなふうに世界が見えるか」を読者に伝えるマンガとなっている。

よく抑えがきいているが、起こった出来事を即物的に描き留めただけではない。人間、動植物、物、出来事すべてに対して、作者の心がどのように揺れ動いたかを逐一きめ細かにとらえた心理スケッチ集なのだ。個人的に受けた印象は「詩集を読むような感覚だなあ」という趣である。

そんな本作だが、先述したように心温まるエピソードばかりでなく、目の前が暗くなるほど落ち込む事態も編みこまれているため、ただ単に「優しい話」という形容で本作を評するのはためらいがある。

劇中の描写で、そういえばそうだよな……と思わされたのが、配達業が時間に追われて心理的な余裕を失いやすい点だ。

一日あたり100件以上の家を配達して回るということは、一件あたり数十秒でもロスすれば仕事を上げるまでにトータルで数十分あるいは一時間にもおよぶ遅れが出てしまう。まさに秒刻みの仕事といえる。

けれど、お客さんとコミュニケーションをまったく取らないわけにもいかない。むしろ自分から話しかけたくなるような状況だってある。そしてしばしば、美しいものや可愛らしいものを目にすれば、一瞬ながら時の流れを忘れられることもある。

あわただしさによって生じるイラつきと、それが弛緩する瞬間のわずかな救済感。時間と心の関係を、日常にぴったり接した題材でうまく形にした内容になっている。

それをふまえた上で、印象深いエピソードが劇中にある。

主人公(作者)が車で移動中、狭い道路で目の前をふさいでノロノロ進んでいる自転車があった。邪魔で車が進めない! イラついてキレかける主人公だが、よく見ればそれは自分のお客さんのひとりで独り暮らしの高齢女性ではないか。猫一匹を連れ合いにひっそりと日々を送る老人の姿を思い浮かべ、怒りにかられた自分を羞じ入り悔やむ……。

本作は、ただ一面的に「優しい話」ではない。

むしろ、ひとが優しさを失うかどうかのぎりぎりの瀬戸際を掬い取ったスリリングな物語といってもいい。牛乳配達員という特定の仕事を描きながら、そこに作用する情緒は誰しもが経験しうる普遍性がある。たいへんにすぐれたエッセイコミックだ。

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miyamo

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