2019.07.17
あまりにも哀れでかわいらしい少女と、平凡な少年が繰り広げるアクションファンタジー!『最後の西遊記』野々上大二郎【おすすめ漫画】
『最後の西遊記』
あまりにも哀れでかわいらしい少女の悲しみ
この作品自体は、アクション少年漫画であって、萌え作品として描かれたものではない。けれども確実に、強烈すぎるフェティシズムがあるので、日替わりレビューの「萌え漫画」枠として紹介したい。
小学生の少年・龍之介の元にやってきたのは、車椅子に乗った幼い少女・コハル。父の話によると、妹だという。
コハルには両腕がない。両足がない。両目が見えない。しゃべることができない。とても1人で生きていける状態じゃない。
実はコハルは、人間よりも神に近い特殊な存在。彼女の声は、他人の恐怖を妖怪として実体化してしまう、危険な力を持っている。だから彼女は、口と心を閉ざし、自分を犠牲にしてきたらしい。となると、コハルの力を悪用すれば、世界中を妖怪だらけにして滅亡させることも簡単。
そこで龍之介の父親は、コハルに人間を好きになってもらうよう考えた。
「お前を愛させる為に 俺はコハルを連れてきた」
血のつながらない、それどころか人類ですら無い妹と愛を育みながら、恐怖から生まれる妖怪を退治していく物語。人の心が生み出す妖怪のデザインはユニークで、戦い方はとてもテクニカル。アクション作品としては痛快なことこの上ない。
ただ、恐怖心が妖怪の育つ根底にあるため、根絶した時相手の心は変化する。ここでコハルのことは忘れ去られていく、というやりきれない展開が待っているから、残酷だ。神様に近いから身体がなくとも生きられるとはいえ、心の傷をえぐり続けるのはかなりえげつない。
哀れなコハルの姿があんまりにもやりきれない。と同時にこの作品は、コハルという少女造形の魅力を、暴力的なまでに読者にぶつけてくる。
身体が動かないから、龍之介は手足が人形の彼女をおんぶし、兄妹関係を保ち続けることになる。離れることがないので、コハルの心の傷が蓄積していく様を、一緒に横で見続けるハメになる。その一方で、神様的な力を放つ状態では、宙に浮いてキラキラ光る神々しさを放つ姿を見ることになる。
話が進むにつれて、コハルは「恐ろしい力を持つ特別な存在」ながらも、「守られるべきかわいい存在」としての描写が強くなっていく。
かわいそうは、かわいい。例えば『鬼滅の刃』のヒロイン・禰豆子。主人公の妹である彼女は、鬼になりかけている状態を抑え込むため必死に抗い続けている。口に竹を咥え、兄のつづらの中に詰め込まれた状態で運ばれていた。その姿は「かわいそう」な耽美性と、艶めかしい身体描写のエロティシズムに満ちていた。もっとも彼女は話が進むに連れてコミカルな描写や華麗なアクションも増え、「かわいい」や「かっこいい」の比率がどんどん増えていった。
では、『最後の西遊記』のコハルはどうなるんだろうか。1巻では「かわいそう」100%。話が進んでも現時点では、悲惨さに追い打ちをかけられるばかり。
このまま「かわいそう」を極めていくとしても、コミカルな幸せが享受できたとしても、兄妹で勇ましく共闘するシーンが増えていったとしても、「かわいい」プラスの印象はガンガン積み重なっていくはず。
ものすごく練り込まれたキャラクターなので、ぜひとも今後の彼女の描写を追っていきたい。
©野々上大二郎/集英社