2019.05.23
【特別対談】『青野くんに触りたいから死にたい』椎名うみ × 『ハピネス』押見修造 インタビュー!【前編】
感動させるということは、心の中にあらゆる技術を使って入り込むこと
押見:『青野くん』は、どこまで描くおつもりなのかなと……ご自身の「はらわた」というか心の奥底のところまで描くおつもりなのかな、と思って読んでいたのですが。
椎名:はらわたを、エンターテイメントにして見せたいですね。
押見:もう、そうなっていますよ。どうしたら椎名さんみたいに、はらわたをエンターテイメントにできるんでしょうね。
椎名:私がなぜエンターテイメントにしているかというと、押見さんのように描くのが怖いからです。私の描き方というのは、音楽がいっぱい鳴ってカラフルなスポットライトが当たっているステージの上で、服を脱ぎながらはらわたをポンポン出していく作業。観客はわーっと熱狂している状態で。そうすれば、私の心は、傷つかないんです。
でも押見さんの描き方は、学校の全校集会で、みんながきっちり制服を着て整列している中で、朝礼台の上で服を脱ぎながらはらわたを出しているようなものですよね。傷つきませんか? 怖くないですか?
押見:……ふふ。音楽は邪魔ですね。盛り上げるような音楽が鳴っていたら、止めてほしいです。
椎名:自分の本当の気持ちを話す時には、音楽をピシッと止めて、今から話すよ! という感じですよね。その時、ヒヤっとした空気が流れるじゃないですか。
押見:それが気持ちいいんですよ、僕。しんとしているほうがゾクゾクしませんか? だって、やっちゃいけない場で、やっちゃいけないことをやっているわけですから。
椎名:怖いです、私は。それはたぶん、人とひとつになれる人の発想だと思う。だから、三日間押見さんの作品を読み続けると大変なことになるんですよ。
押見:三日間暴力を振るい続けているようなものですからね。
椎名:ぐしゃぐしゃですよ(笑)。
押見:でも『青野くん』もはらわたを出していることに変わりはないわけで、暴力の一種だとは思いますよ。僕も『青野くん』を読んでいて、ぐしゃぐしゃにはなりますから。
椎名:漫画家って読者のことを感動させたいと思って漫画を描くじゃないですか。そこには、暴力性があると思うんです。感動させるということは、その人の心の中にあらゆる技術を使って入り込むことだと思うので、どんなに誠実にやったとしても絶対に誰かを傷つけると思うんです。
押見:むちゃくちゃ傷つけますよね。
椎名:傷つけることを絶対に正当化したくないと思っていますが、それでも私たちは暴力をふるいたいんですよね。
押見:ふるいたいですね……。
椎名:だからずっと、そのやり方を考えなきゃいけないんだと思います。
押見:誠実なんですよね、椎名さんは。漫画の中でも、人を傷つけていることを直視しろ、ということを描かれているなと思います。
椎名:押見さんも描かれていますよね。
押見:僕はそんなにやさしくはないかもしれない(笑)。とりあえずは自分のことをわかってもらえればそれでいい、くらいの感じなので。わりと自分のことをそのまま描いちゃうので、特に周りの人を傷つけたりしていることは自覚しているんですけど。
椎名:でも押見さんがやっていることは、押見さん自身も傷つく行為だと思うんですよ。
押見:傷つきますね……どうしたらいいんですかね?
椎名:それでもやれる精神力があるのが、押見さんのすごさじゃないですか! 強い方でいらっしゃる、と読みながらいつも思っています。……ご自分を凌辱していらっしゃるんですか?
押見:最近その自覚が湧いてきましたね。自分で自分を傷つけるのが快感なんだなって。
椎名:漫画の中でも、凌辱するしされるし……凌辱はすごく大きいポイントだなって思いました。
押見:はい。そうです(笑)。
椎名:あの……『惡の華』で、佐伯さんに主人公が凌辱されるシーンがあるじゃないですか。
──自分から心が離れた主人公・春日を取り戻そうとした佐伯さんが、抵抗する春日に無理矢理セックスさせる、というシーンですね。
椎名:男の人が女の人に凌辱されるということが、こんなに的確に描かれている漫画はそうそうない。私は押見さんの漫画でしか見たことがないです。
女の人が男の人に凌辱されるっていうと、すぐにわかってもらえるんだけど、男の人が女の人にっていうのは「いやいや、そんな」と思う人が多いと思うんです。でも誰でも誰かに凌辱されるし、凌辱してしまうものじゃないですか。この凌辱シーンは、つらくはあるんですけど、気持ちいいんですよね。
その感覚を知っているのに、まだ形になっていないものを形にしてもらえると、ゾクゾクする。物語を読んだ時に「それ知ってる!」と思うと、わかり合えた気がするじゃないですか。だからすごく気持ちよかったです。
押見:ありがとうございます。
椎名:『惡の華』は、「凌辱三角関係」だなと思ったんです。主人公がまず佐伯さんのことを凌辱しますよね。体操服を盗むという行為によって。次に主人公を中村さんが凌辱して、最後に佐伯さんが主人公を凌辱する、という作りになっているなと思うんです。
──中村さんの主人公に対する「凌辱」というのは、中村さんに体操服を盗んだことを知られ、ある「契約」をした春日が、図書室で制服を脱がされ、盗んだ体操服を着せられて組み敷かれる、というーンのことですね。
椎名:ここで中村さんがやっていることは凌辱なんですけど、中村さんが主人公を凌辱したことで、主人公は佐伯さんを凌辱したことを許される、というか。ひどいことをしてしまって、「自分はこんな人間だったのか! どうしよう!」となっているところに「私も同じだよ、ほらね」と言ってあげたのが中村さんだなと。
押見:やさしいですよね、中村さんは。
椎名:だから中村さんは「救い」で、主人公への「許し」。逆に、主人公に「私はあなたのことを許すから、あなたは私のことを全部許して」っていうのが佐伯さん。でもそれは主人公を消費していることになっちゃう。
そうやって三人がひとつになっていくというか、類似性が出てくるというか……みんな同じで、みんな凌辱していて、とんでもない三角関係だなと思います。
押見:自分のために相手を使うことをみんながしているわけですからね。中村さんが一番真っ当というか、一番やさしいのかなと。
椎名:そう思います。佐伯さんは、怖いです。
押見:佐伯さんのことは……嫌いなんです、僕(笑)。好きでいてくれる読者の方もいっぱいいますし、自分のキャラにそういうことを言うのもなんなんですが、嫌いだなあと思って描いていて。途中で「あ、佐伯さんに母親を投影しているんだな」と気づいて。その気づきもあって、『血の轍』を描いたんだと思います。
椎名:『惡の華』を読んだのは、私が「子供時代の後片付け」をしている時だったので……読んでいたのですごく「ううっ」となったんですけど。
押見:子供時代の後片付けってどういうことですか?
椎名:自分の子供時代のことを、心の中で整理して、消化する、みたいなことでしょうか。子供と大人の過渡期みたいな時に読んでしまったので……中村さんは、私にとってもミューズでした。主人公が中村さんに呼ばれて河原の草に囲まれておしゃべりするじゃないですか。
あのシーンは、読んでいて子供時代を追体験するみたいな感覚がありました。あの暑さと湿度を覚えています。
押見:自分で今読み返すと、あのころの絵は耐えられないですけど……湿度を感じ取っていただけてすごくうれしいです。
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